NHK 大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一はシャムの国にも渡航し、シャムの国とはとても縁の深い方です。 シャムとは、現・タイ王国の昔の国名。 日本とタイの友好関係がとても深まった時代です。
大河ドラマで当店の名前「シャム」の放送にちなみ、タイと日本の友好の歴史をお伝えしたいと思います。
さきがけは山田長政
17世紀、徳川幕府の朱印船貿易を通じて、日本とシャムの国との貿易が活発になります。 この中、山田長政らは商人としてシャムに渡航。 そこで山田長政らはシャムの国の外敵と勇猛果敢に戦い、勝利を収めます。 当時の日本人は戦乱に明け暮れてとても強く、日本人がシャムの国を守り一躍有名になりました。 シャムの国からは感謝され、山田長政は国王となり、その功績は日本にも届きます。 大きな流れでタイとの友好関係の始まりです。 渋沢栄一が少年時代にワクワク、ドキドキした人物です。
幕末明治の日本とシャムの国
19世紀にやっと鎖国を緩和した日本でしたが独立国。 一方、イギリス・フランスなどの欧州列国の植民地に囲まれていながらも、見事な外交力で独立を保っていた国がシャム(タイ王国)でした。 その他のアジア各国は植民地だらけでした。 高杉晋作が中国に渡った際に尊敬する孔子廟をイギリス軍が駐在所として占拠しているのを見て、嘆き悲しみ、日本の未来を憂慮したことは有名です。 また、のちに起こる日露戦争では日本が欧州を打ち破りましたが、その時にアジア各国からは拍手喝采。 戦争を肯定することはできませんが、それほどアジア各国は尊厳を失っていたのです。 これが欧州によるアジア進出と植民地化の様相を如実に物語っています。 その中で独立国であった日本とシャム(タイ王国)は、お互いを良く理解し合える間柄であったに違いありません。 外圧に対峙した日本とタイはすごい国だったんです。
青天を衝け「シャム」
やがて、フランス万国博覧会では、日本とシャムが同じ展示スペースとなり、ここから渋沢栄一が絡んでくる。 そして渋沢栄一自身がシャムに渡り、その情報は日本に大きくもたらされる。 やがて、留学生の交流や王室同士の友好関係がはじまり、現在へと続く日本とタイとの友好関係に発展していきます。
幕末・明治はおもしろい。
欧州の力を利用しつつも、徹底してその距離感を保ち、外国による日本への内政干渉を拒みつつ、世界に類を見ない「維新」を成し遂げた日本。 そういう時代背景を知ると幕末・明治はおもしろい。