歴史
タイ王国は比較的新しい国名
現タイ王国は、1939年に改名され、比較的新しい国名です。 それまでは長くシャム国(Siam)として呼ばれていました。
シャム国はタイ族の国を意味し、日本では「暹羅」と書かれシャムと呼び、14世紀頃から600~700年ほど続いた国の呼び名です。 この間、数々の戦争や内乱を経験し、王朝も変わってきたが、ずっとシャム国と呼ばれていました。
唯一植民地支配を受けなかった国
このシャム国(タイ王国)は、東南アジアの中では唯一植民地支配を受けなかった国。 20世紀前半の欧米による植民地時代、周辺はイギリスやオランダ、アメリカ、フランスの植民地に囲まれている中、タイだけは唯一の独立国でありました。 タイ人と多く接する中で「決めない柔軟性」「敵を作らない立ち回り」を良く感じることですが、そういったことが「したたかな外交」「敵を作らない外交」で国難を外交で立ち回った側面があるのではないかと思っています。
愛する象とシャム国
またタイ人伝説で、昔、ビルマ(現ミャンマー)との戦争で苦しい時、シャム国側の勇猛果敢な象が状況を打開し、勝利を収めたと言います。 現在においてもタイ国民は象を誇りにし、敬い、そして、家族と同じようにしています。 これもシャム国の時代と言います。
タイ古式マッサージ
シャム国で確立
タイ古式マッサージは、14世紀~17世紀のシャムの国の時代に確立されます。 しかし、18世紀ビルマ軍の侵略により、首都アユタヤが陥落した際、マッサージのテクニックに関する医学書物の大部分を失うこととなりました。
シャム国で革新的発展
しかし、1832年ラマ3世が、タイ古式マッサージを再興させるため、バンコク最大のワットポー寺院の石碑にテクニックを刻み、同寺院に教育施設を設立しました。 この大いなる功績により、寺院や王宮だけのマッサージ文化だったものが、広く一般民衆に浸透しはじめました。 人々は家に帰り、年老いた親にマッサージを施したのであろう。 どんどん生活の中にマッサージが浸透し、親孝行が深まり根付いていった。 ゆっくりとゆっくりと。 そしてそれがタイ国民の文化となり、徳の文化となります。 これは日本人の心の中にある聖徳太子の「和を以て貴しとなす」と同じではないかとふと思う時があります。 マッサージの革新的発展もこのシャムの国の時代でした。
そして世界が認めるマッサージへ
その後、世界で発展を遂げたタイ古式マッサージは、2019年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録。 世代を超えて継承すべき伝統的な価値のあるものと認定されることになりました。
シャムの国
シャム猫やシャム沈香も?
シャム国の名前は、タイ王宮の至宝とも呼ばれたシャム猫や香木で有名なシャム沈香などに今も残されています。 織田信長で有名な蘭奢待(らんじゃたい)もシャム沈香の可能性があるそうです。
日本との良好な関係
また、欧州のタイへの侵攻を退けたタイの英雄、山田長政もこのシャム国の時代です。 渋沢栄一もシャム国に夢を持ち渡航しました。 一方、日本が3・11東日本大震災の時には、貧困層を含むタイの多くの国民から支援や応援を頂きました。
日本とタイ、そして天皇陛下とタイ国王との関係は、長く良好な関係が続いています。
当店の名前の由来
このシャム国の時代にタイ古式マッサージが確立され、そして国の文化となるまで発展しました。 私たちはその伝統ある国名の口語をいただき、日本でマッサージをさせていただいています。