戦前、アジアは日本とタイだけが独立国で、その他の国は一部ないし全てが植民地となっていました。 その中、第二次世界大戦を機に日本は、東南アジア各国の欧州軍と戦いをはじめます。 旧日本軍は友好国タイを東南アジアの軍拠点としていました。 今でもタイには旧日本軍の遺構が残されていますが、タイ現地の方々はどう思っているのかこれからお伝えしたいと思います。
旧日本軍が残した橋
この画像は、タイ北部とある町の吊り橋。 およそ80年前に旧日本軍が建設したものです。 今でも「日本がつくった橋」と語り継がれています。
語り継がれる「イップン」
「日本はどうしてこんな橋を作れるのだろう?」それが親から子に、子から孫に語り継がれています。 そして、この地域には「イップン」という名前の子がいますが、これは「ニッポン」のタイ読みです。 この子は胸を張って語ります。 私の親が日本の名前を付けてくれたと。
唯一の独立国「タイ王国」
話は日本軍のタイ進出に戻りますが、戦時中ゆえ、タイにとって自国の安全を危惧するのは当然。 どうして日本軍を受け入れるのか、このまま占領されるのではないかという欧米寄りの抵抗勢力も現れます。 結果的に日本は戦争に敗れますが、日本に協力したタイは敗戦国ではなく、抵抗勢力の影響で戦勝国と扱われます。
つまり、近代アジアにおいて、独立国として領土を保全した国は、唯一タイ王国(当時はシャムの国)だけとなります。 しかも周辺を欧米に囲まれての状況。 奇跡とも言えるこの歴史は多くの国や学者が研究をするほどです。
日本とタイ王国の友好の架け橋
しかしながら、タイ北部のこの町では、自国に入り込んできた日本のことを悪く言う人は意外と少ない。 旧日本軍の礼節もあったのであろうが、まるで光り輝く伝説を語るように言うのだ。 そして年配の方はこうも言います。「敗戦国となり壊れた日本だが、その後の復興、経済成長が信じられない」と。アジアの誇り!といった口調です。
現代に続く友好な関係
そして、1993年コメの大不作で食糧危機に陥った日本に対して、タイは真っ先に米を供給する。 逆に投資家のマネーゲームによる1997年アジア通貨危機で国家破たんの危機に陥ったタイに日本はすぐさま金融支援を実行する。 2011年東日本大震災では貧困層を含むタイ国民が総出を挙げて支援する……両国はとても良好な関係が続いています。
旧日本軍とタイ王国の友好の架け橋
ここに確かに日本人がいた。 そしてこの町の人に好かれた日本人がここからインパール作戦などに旅立って行きました。
旧日本軍とタイ王国の友好の架け橋。 現在もこの地に友好の象徴として残されています。
もし、当時の建設や軍に関係される方がおられましたら、どうかお伝え下さいますようよろしくお願いします。